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星のゆくえ — Where the Stars Go

Chapter 8: 第8章:血の向こう側

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第8章:血の向こう側(1/5)

少年と外を隔てる扉が閉まった後、部屋にはしばらく音がなかった。誰もがすぐには動けなかったからだ。

空気だけが、何事もなかったように流れを戻していく。

ジェイクは、ただそこに立っていた。
彼の呼吸は荒くない。先ほどのような怒りも、家族のための焦燥もない。しかし、視線だけが一点に固定されたまま動かない。

締め切られたカーテンの向こう、見えるはずのない壁際の隅。さっきまで少年が蹲っていた場所。
そこだけが、妙に目に焼きついて離れなかった。

ノームが一歩、恐る恐る慎重にジェイクとの距離を詰める。

「……ジェイク」

名前を呼ばれても、ジェイクはすぐに反応しなかった。数秒遅れたあと、その屈強な肩がわずかに動き、口からは小さな息がこぼれる。

「……やりすぎたか?」

それは誰に向けた言葉でもなかったのだろう。問いでもなく、確認でもなく、ただ口から落ちた音だった。
その言葉にノームは目を伏せ、疲れたようなため息を吐く。

「彼は、敵じゃないかもしれない」

その言葉にジェイクの視線がゆっくりと、ノームの方へ移動する。

「かもしれない、だと?」

声は低いままだったが、先ほどまでの鋭さは少しだけ欠けていた。ノームは一度だけ頷いて言葉を続ける。

「少なくとも、“戦う必要のある相手”ではない可能性がある」

部屋には再び沈黙が落ちる。

ジェイクはすぐには返事を返さない。代わりに、拳をゆっくりと開いたり握ったりしていた。
まるで、自分が何をしたか今になって確かめるみたいに。

そんな中、少年を軟禁している部屋のカメラを覗いていたマックスが一言「ああ」と言った。

「……あの子、あれから一歩も動いてないぞ」

ジェイクとノームが覗き込んだモニターには、確かに、蹲ったままピクリとも動いていない少年の姿がある。殺風景な部屋の角に身を寄せ、とにかく体を小さく丸めていた。顔は抱え込んだ膝に埋められ、ジェイクたちには伺い知ることができない。

「彼をどうするんだ……?」

モニターを見ていたマックスはふとそう言ってジェイクに視線を向け、ノームへと視線を移した。数秒の沈黙の後、2人から言葉が返ってこないと知るとまたモニターの少年に目を向ける。

「まだ子供だろ?」

その言葉はジェイクの胸のどこかに刺さった。
おそらく、双子の兄を弔ったとき、無くしたと思っていた場所だ。

昏睡状態だったあの少年の寝顔を見て、ジェイクは、息子のネテヤムやロアクと殆ど年が変わらないかもしれないと感じた。そして目覚めた少年と向き合い、話し方を聞き、その表情を見つめた時、大人が皮を被っているのではなく、本当に「子供」なんだと妙な納得さえした。

今になって振り返ればジェイクの行動は確かに「やり過ぎ」だったのだろう。
15年越しのクオリッチとの対面、攫われて生死が分からないスパイダー、危険に晒された愛しい子供達。その全ての重圧が合わさって、ジェイクの視野を狭め、歪ませていた。

ジェイクは悪人ではない。
だけどきっと、正義のヒーローでもない。
その胸の奥深くにあるのは「家族を守る」という鋼の意志だけ。

しかし今日、その「家族」の境界線に石が投げ込まれた。

火葬場で火に包まれたトミーは、今のジェイクを見て何を思うだろう?

「嘘をついてる可能性は?」

そんなジェイクの思考を切り裂いたのは、部屋の影に佇んでいたネイティリの鋭い声だった。彼女の目は掠れ、口は強く結ばれている。こんな状況でなかったらジェイクは最愛の妻に「全部俺に任せて休んでくれ」と懇願しただろう。

「ネイティリ……あの子は、嘘をついてるようには見えなかったよ」

ノームがそう口を開いた途端、ネイティリは喉の奥で震え上がるような威嚇音を立てた。

「人間は嘘をつくものよ!それが真実だと、どう証明するの!」

歯を剥き出しにした女性に、マックスは驚いて小さな悲鳴をあげる。ジェイクは少しだけ顔を歪め、一方ノームは疲労した声で「方法はある」と言った。

その言葉によって不安や疑心といった全員の視線が一斉にノームにむけられる。ノームは机に置かれていた試験管の1つをおもむろに手に取った。

「これだ」

その試験管が手の中で揺らされると、中に入っている液体は持ち主がもたらす重力に従って変形する。

「彼の血液」

 

第8章:血の向こう側(2/5)

ノームが出ていっても、スキッドはその場を動かなかった。膝を抱え、身体を丸め、部屋の隅に蹲る。

カサついた指先が震えていることに、スキッドは気付かない。

顔を伏せて、目を閉じ、自分の呼吸だけに集中する。吸って、吐く、それだけで良い。

そしてその最中、スキッドは暗闇の視界の中で青白い星を見た気がした。
最も明るい1等星、巨人の足と名付けられたその輝き。闇夜で光るその姿は、スキッドの目を焼いて、それでもなお美しい。

それは、弟への恋しさが生み出した幻覚だろうか?それとも記憶に滲んだ宇宙図鑑の1ページが浮かんだだけだろうか?

パンドラに来て、スキッドがゆっくりと夜空を見上げられたのは、せいぜい片手で数えられる程度の回数だった。
ブルーチームとの訓練と科学者たちの生体検査の合間、眠る間際のその一瞬だけ、空を見ていた。

この星は、何故こんなにも美しいのか?
地球は、何故あんなにも荒んでいたのか?
スキッドはそのどちらの答えも持っていない。

呼吸が少しずつ乱れていく。

抱え込んだ膝が冷たい。
手足の末端から熱が消えていくのが分かった。寒さを恐れ、身体を更に小さくしても体温に変化はない。

静まり返った部屋の中で自分の呼吸と鼓動の音に耳をすませる。その中で、微かに壁越しの話し声が聞こえてきた。

ノームか。ジェイクか。はたまた別の人物なのか、スキッドには分からない。しかし、分からなくても、もうどうでも良いのだ。

彼らに聞かれたことには、何でも答えよう。
スキッドが差し出させるものには限りがあるし、終わりもある。けれどいくら与えても、懇願しても、スキッドが役に立たないと言われる日は、すぐそこまで来ているだろうから。

それまで、もう少しだけここにいたい。
部屋の隅で、ひとりでいたい。

終わりまでの日を数えるのは辛いから、スキッドは頭の中で思い出に浸る。

10月13日。
あの日訪れた、暖かく小さな温もり。

スキッドは少しだけ微笑む。

この思い出があれば、死ぬ時もきっと、こわくないだろう。

 

第8章:血の向こう側(3/5)

ロアクは元来、誰の言うことも聞かないタチだ。
反骨精神旺盛で、頑固、そして対抗心が強い。誰かに押し付けられたら、ロアクからも更に強い力で押し返すことを好む。

その性格の発端は、おそらく父親が担っている。

偉大なトルークマクト。崇高なるオロエイクタン。
人間に反旗を翻し、ナヴィを救った誉れ高き英雄。

そんな素晴らしい人物の息子は、同じく素晴らしくたりうるか?
その問いの答えは曖昧だ。何故なら前提条件が明確ではないから。
指をさされる方角が兄のネテヤムなら正、ロアクなら否。そういう話でしかない。

つまり、ロアクは常に「否」だったのだ。

ロアクは生まれてから今までに向けられた指の数を、ご丁寧に数えたりはしていない。それでもあの光景を忘れられないのは何故なのか。その理由は偉大な父にも、そして期待通りの兄にも一生分からないだろう。

他よりも多い指の数。目の上に存在する毛。
父親との類似性は、ロアクにとって密かな誇りであり、一生消えない烙印のようなものでもある。

体の特徴が増えたことは、ロアクの孤独を深めただけではないのかと、時々思う。
この穴がいつか埋まるのか、もしくは時間と共にただ広がっていくだけなのか、ロアクには分からないけれど。

多数のナヴィと暮らしていても、彼らの一員であるという実感を一度も持てなかった。
容姿の違い、生まれの特殊さ、元来の性格。その全てがロアクをロアクたらしめているのに、周囲に馴染めなかったことを両親は失望しているだろうか。

ロアクはその答えを聞きたくない。

悩んでいるのも面倒で、暗くなりそうな思考はいつも放棄する。そうしていれば、大抵のことはどうにかなった。

そして今、自分が何故ここにいるのかを考えないようにしている。

スパイダーのためだ、と思うことにした。
それは嘘ではない。スパイダーがクオリッチに連れ去られてから、ロアクの胸の奥底には常に焦げ付くような焦燥が燻り続けていた。
あいつは今どこにいる。生きているのか。怖い思いをしていないだろうか?
頭の中を駆け巡る言葉には終わりがない、それが嫌だった。

父は「待て」と言う。
母は「エイワを信じろ」と言う。
ネテヤムは「お前が動いてどうする」と言う。
全員が正しいことを言っているのは分かっている。

それでも待てない、待っていたくない。

 

追い出されてこっぴどく両親に叱られてからも、表向きは何でもない顔をしてロアクはずっと、あのリンクシャックの周辺をうろついていた。
監視の大人が交代する時刻、立ち位置、視線の死角。把握するのに、日が傾くまでかかった。
ネテヤムの監視を掻い潜り、キリの問いかけをぼかし、トゥクを追い払う。

父は幼少期のロアクに「観察せよ」と教えた。森で獲物を追う時と同じように、ロアクは辛抱強く、息を殺して時を待つ。

……自分がこれほど辛抱強くなれることを、ロアクは今日まで知らなかった。

監視の交代が重なる、ほんの数分の隙間。
その隙間に、答えがあること信じて。

 

監視の目をすり抜けて扉の前に立ったロアクは、ここで初めて「何を言うつもりだ」と自問した。

スパイダーのことを聞く。
それだけだ、それだけのはずだ。
しかし森であの少年が握らせたナイフの感触が、まだ手のひらに残っている気がする。

__「Txoa... Oer txoa livu.(ごめんなさい……許してください)」

ロアクに触れたのは、冷たい手だった。獲物を仕留めた後にしか感じられないような、喪失の感触。

敵が謝ることも、許しを請うこともロアクは想定していなかった。それよりも何より__敵が、自分と同じくらいの背丈で、同じくらいの年齢で、同じくらい怖がっているとは考えていなかった。

同じ青い肌。同じ指の数。同じ目の上の毛。
人間みたいな服を着ていて、髪も短かったけれど、そいつはロアクと同じだった。とても良く似ていた。

類似性と正しさはイコールではない。
その関係性はロアクと父のせいで破綻している。
似ていても、全てが同じではないのだ。求められることに、全て応えることは誰にもできやしない。

だから、自分の目で確かめるしかない。

ロアクはゆっくりと扉を開けた。

 

第8章:血の向こう側(4/5)

扉を開けた瞬間、ロアクは少し後悔した。

部屋の隅に蹲っていた青い影が、ぱっと顔を上げてこちらを見たからだ。その目が思ったより鋭くて、ロアクは反射的に両手を上げる。
武器はないぞ、という意味で。

相手は何も言わず、ただじっとロアクを見ている。

ロアクが扉を閉めると、四方の壁がやけに近いように感じた。思ったより、狭い部屋だったのだろうか。

「……スパイダーのこと、聞きに来た」

とりあえず、一番初めにそう言った。
口にした後で「これさっきも聞いたよな」という思考がロアクの頭を過ぎる。脳内でキリが呆れたようにため息をついたのが聞こえた気がした。

身体が壁に吸い付くことを祈るように、部屋の隅へ後退していた少年は、その問いかけに目を彷徨わせる。口を何度か開けたり閉じたりした後にボソボソと「知らないって、言っただろ」と呟いた。

抱え込んだ膝をギュッと握り締め、金色の瞳は絶えず、カーテンで締め切られた窓と立ったままのロアクを見比べている。ロアクの後ろから、もしくは窓から、今にも怪物が飛び出てくる、とでも言いたげな表情だった。

ロアクは数秒の気まずい沈黙の中で、必死に頭を回転させる。

「……それじゃあクオリッチが、あいつをどうするか、とか」

スキッドは少し間を置いてから答えた。

「……殺しはしない、と思う」

その言葉にロアクは目を見開いた。「なんで!」と言って思わず1歩足を踏み出すと、少年は肩を跳ねさせて更に壁に身を寄せる。それ以上の退路はどこにもないのに。
怯えた小動物のような光景に、ロアクの体のどこかが痛んだ。

ロアクは踏み出した足を元に戻し、改めて「なんでそう思う」と問いかけた。
少年はロアクを上から下まで観察してから、目線を斜め上方向に向けて口をひらく。その表情はあの時の光景を思い出しているようだった。

「大佐は……あの、スパイダーって子の名前聞いた時、驚いて……何か、感じてたみたいだった。……全部推測で、多分だけど、」

ロアクは聞いた言葉を頭の中で転がした。自分もあの瞬間を見ていたのだ。
クオリッチの何かが一瞬だけ乱れた、あの歪な感じ。

部屋の中は静かで、換気扇の音だけが空間を支配している。ロアクは帰るタイミングを完全に見失い、妙な居心地の悪さを感じた。

「……お前、何で俺たちを助けたんだ」

聞こうと思っていなかったことが口からこぼれ落ち、自分でも驚いた。
少年はその言葉に壁に向けられていた視線をロアクへと戻す。ぼんやりとしたその顔は、ロアクを見ているようで、違う何かを見ているのかもしれないと思った。

「僕も、助けて欲しかったから」

ロアクは間抜けにもポカンと口をあけた。視線の先には、少年の横顔がある。彼は今、ロアクではない、カーテンで締め切られた窓を、その向こうのどこかを見つめていた。

「ああいう時……「助けて欲しい」って思うとき、僕も誰かに助けて欲しかった」

やや乾いた唇が動いて、確かに音を紡いでいる。少年は驚愕に凍りついているロアクへと、ゆっくりと視線を移した。それから「ごめん」と言った。

「怖い思いをさせて、ごめんなさい。……君だけじゃなくて、他の子にも。それから、もう一人の、スパイダーにも……ごめん。」

トゥク、キリ。そして、スパイダー。
自分たちの存在が彼らに与えた恐怖、その全てを少年は、リンクシャックの中でずっと悔い続けていたのだろうか。
ロアクは心臓が早鐘を打つのを感じ、意味もなく口を動かした。

「お前、なんで、今さら……」

ロアクの言葉に、少年ははじめて顔を緩ませた。
口は今までの硬直を忘れ微かな弧を描き、見つめ合ったまま瞳は穏やかに溶けていく。
その柔らかな表情が、ロアクの脳裏に焼き付いた。

「そうだ。全部、今さらだな」

呆然としたままのロアクを置いて、少年は抱え込んだ膝に顔を埋める。

「もう行けよ……本当は、ここにいちゃいけないんだろ」

ロアクはその言葉にハッと我に帰る。
確かに交代の僅かな時間は、これ以上残されていない。そろそろ帰らないと本格的にまずい事態になるだろう。
焦った思いのまま扉に手をかけて開く前に、ロアクは一瞬の躊躇の後、少年を振り返った。

「なあ!結局お前の名前は何なんだ」

「S-KID」はコードネームではなく、「RDAの資産番号」だと彼は言った。その後に聞くはずだった、本当の名前をロアクはまだ知らない。

少年は顔をあげて、少し躊躇った後に「スキッド」と名乗った。
スキッド、ロアクはその名前を心の中で何度も繰り返す。

「わかった」

ロアクはそう言って扉を開けると、部屋から出る直前、振り返らずに「また来る」と言った。

背後にいる少年から、返事はなかった。
扉が閉まり、2人は隔たれる。

ロアクは監視に見つからないように急いでその場を離れ、こっそりと帰路につく。
帰り際、音には出さずに口だけで小さく「スキッド」と何度か呟いた。

そんなロアクの脳裏には、少年__スキッドの柔らかな表情と、諦めたような「今さらだ」という声が、遥か彼方から聞こえてくる遠吠えのように、いつまでも、耳の奥に残っていた。

 

第8章:血の向こう側(5/5)

遺伝子解析の結果は以下の通りである。

対象__便宜上、本人の申告に従い「スキッド」と記録する__から採取した血液サンプル。そこから白血球を分離し、標準STRパネルおよび補助ゲノム解析を実施した。比較するのは、現時点で比較対象として登録されているジェイク・サリーの既知遺伝情報。

その解析の結果は、何とも言い難いものだった。

23カ所の主要遺伝子マーカーにおいて一致率は極めて高く、通常の親子関係モデルを大きく超えている。数値だけを見れば、彼らは親子関係として処理される水準にあるだろう。

ただし、いくつか説明のつかない点が残る。
その最たるものとして、完全一致している領域が多すぎることが挙げられる。親子モデルで想定される“ばらつき”がほとんどない。逆に、兄弟や近縁関係としても不自然な偏りがある。

既存の解析分類では、科学的に適切な関係性を割り当てることができない。
通常であれば「データエラー」か「混入」を疑うべき結果だが、再度行った検査でも同様の結果が出ている。

結論として彼らは「親子」、「兄弟」、「その他の近縁関係」、「非血縁」のいずれかに分類されるべきだ。
しかしいずれのモデルにも完全には適合しない。

対象が非標準的生体である点を考慮すると、標準ヒト遺伝モデルの適用には限界があるのだと言うしかないだろう。

現時点では、最も近い説明として「親子モデルに最も高い適合度が割り当てられる」という結果に留まっている。

 

ただしこれは“正しい”という意味ではない。
そう判断されてしまう、というだけである。

 

ノーム・スペルマン

 

(第8章:血の向こう側 完)